落書き

6月 27th, 2013

【6/27(木)】

落書き

だいぶ前に、夜の三条河原町を歩きながら二条河原の落書きを考えていたことがある。
後醍醐天皇の建武の新政批判、クールでアナーキー、作者知らず。
昔の文章で少しわかりにくいが書き残そうと思う。

この頃都に流行るもの 
 夜討 強盗 謀(にせ)綸旨(りんじ)
 召人(めしうど) 早馬 虚騒動(そらさわぎ)
 生頸(なまくび) 還俗(げんぞく) 自由(まま)出家
 俄大名 迷い者
 安堵 恩賞 虚軍(そらいくさ)
 本領離るる訴訟人 
 文書(もんじょ)入れたる細葛(ほそつづら)
 追従(ついしょう) 讒人(ざんにん) 禅律僧 
 下克上する成出者(なりづもの)

 器用の堪否(かんぷ)沙汰もなく 
 もるる人なき決断所
 着つけぬ冠(かんむり)上の衣(きぬ) 
 持ちも習わぬ杓(しゃく)持ちて 
 内裏(だいり)交わり珍しや
 賢者顔なる伝奏は 
 我も我もと見ゆるとも
 巧なりける詐(いつわり)は 
 愚かなるにや劣るらむ

 為中美物(いなかびぶつ)にアキミチテ 
 まな板烏帽子(えぼし)歪めつつ 
 気色めきたる京侍
 黄昏(たそがれ)時に成りぬれば 
 浮かれて歩く色好(いろごのみ) 
 イクソハクソヤ数不知(しれず) 
 内裏をカミト名付けたる
 人の妻鞆(めども)の浮かれめは 
 よその見る目も心地あし
 尾羽折れ歪むエセ小鷹 
 手コトニ誰もスエタレと 
 鳥とる事は更になし
 鉛作の大刀 
 太刀より大きに拵えて 
 前サカりにぞ指ホラス

 バサラ扇の五骨 
 ヒロコシヤセ馬薄小袖
 日銭の質の古具足 
 関東武士の駕籠(かご)出仕
 下衆上臈のキハもなく 
 大口(おおぐち)ニキル美精好(びせいごう)

 鎧、直垂(ひたたれ)猶不捨(すてず) 
 弓も引きえぬ犬追物
 落馬矢数に優りたり 
 誰を師匠となけれども
 遍(あまね)く流行る小笠懸 
 事新き風情也

 京鎌倉をコキまぜて 
 一座揃わぬエセ連歌
 在々所々の歌連歌 
 点者にならぬ人ぞなき
 譜第非成の差別なく 
 自由狼藉の世界也

 犬田楽は関東の 
 ホロフル物と云いながら 
 田楽はなお流行る也
 茶香十炷(ちゃこうじっしゅ)の寄合も 
 鎌倉釣に有鹿と 都はイトヽ倍増す

 町毎に立つ篝屋(かがりや)は 
 荒涼五間板三枚
 幕引廻す役所鞆 
 その数知らず満々リ
 諸人の敷地不定 
 半作の家是多し
 去年火災の空地共 
 クソ福にこそなりにけれ
 適(たまたま)残る家々は 
 点定せられて置去りぬ

 非職の兵仗流行りつつ 
 路次の礼儀辻々はなし
 花山桃林寂しくて 
 牛馬華洛に遍満す
 四夷を鎮(しず)めし鎌倉の 
 右大将家の掟より 
 只品有し武士も皆 
 ナメンタラニソ今はなる
 朝に牛馬を飼いながら 
 夕に賞ある功臣は 
 左右に及ばぬ事ぞかし
 させる忠功なけれども 
 過分の昇進するもあり 
 定めて損ぞあるらんと 
 仰て信をとるばかり

 天下一統珍しや 
 御代に生じて様々の 
 事を見聞くぞ不思議なる
 京童の口ずさみ 

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朝休み

6月 26th, 2013

【6/26(水)】

朝休み

10歳の息子がいる。名前は< 思う><遊ぶ>でシュウと読ます。
彼は、朝かなり早く学校に行く。今朝も7時に家を出た。出がけに聞いてみた。
「朝早く学校に行って何してるの」
「朝休みだよ。」
「えっ?」
「ア サ ヤ ス ミ」とシュウ。
「それは、授業で疲れる前に休んでおくってことかな?」
「そうだよ」とシュウ。
「何をして遊ぶの?」
「木登りとか、バスケット」とシュウ。
僕はうなってしまった。
彼の名前の本当の漢字は「思」にはニンベンがつく。
「遊」はシンニョウではなくてサンズイである。
遊ぶは近所の弘道館の篆額(斉昭)からいただいたが、老荘思想の「荘子」の引用でもある。
中国の元の意味は「自在に動くものは神」といった意味らしい。
神は遊び、人は動くというわけ。
荘子と言えばビートルズの「ストロベリーフィールズフォレバー」思い出す。
ストロベリーフィールズは何事にもこだわるな。自分だけの木に上ってゆったりしてればいいじゃないか、と歌う。
これは荘子の引用であると以前から指摘されてきた。
シュウの中には、荘子とジョンレノンがすでにいる。
 
<Strawberry Fields Forever>
“Let me take you down, ’cause I’m going to Strawberry Fields
Nothing is real and nothing to get hung about
(何も現実ではなく、何物にもとらわれない)
“No one I think is in my tree
I mean it must be high or low
That is, you can’t you know tune in but it’s all right
That is, I think it’s not too bad”
(僕と同じ木にいる人はいないようだ。高いか低いかなんて、うでもいいじゃないか。ここで悪くないよ。)

莊子曰「今子有大樹、患其無用、何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下?不夭斤斧、物無害者、無所可用、安所困苦哉。」(『荘子』逍遥遊 第一)
「あなたはせっかく大きな木を持っているのに、役に立たないと嘆いている。木を別な広々とした場所に植え替えて、散歩したり、昼寝をして過ごしたらどうだい?何も困ることはないよ。」

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十和田市現代美術館 「flowers」展

6月 25th, 2013

【6/25(火)】

十和田市現代美術館 「flowers」展

十和田市には月と太陽がある(太素神社、澄月寺)。
その月の北に白い塔がたった。
十和田市現代美術館。
西の名前を持つ建築家が設計した。
その窓は、南を向いている。
そして今年の春、そこに真っ赤な花が咲いた。
そこから胞子が飛散し、また、花を咲かせる。
それは、西の果ての山、東の果ての海につながっていく。
海を超えアジア(韓国、中国)、欧米(三沢基地、太平洋)ともつながる。
それが美術館の役割だと、合点がいった。
奥入瀬川、稲生川は竜脈を西からはこびこみ、東に向かっている。
その気を町に運び込まなくてはならない。
これが、フラワー展の本当の目的だ。
チェ・ジョンファの花は、一晩中開いたり閉たりして、花粉を飛ばすことに余念が無い。
秋はいよいよ奥入瀬でアートプロジェクト、市から大いに期待されている。
楽しみは花とともに広がる。
本当に何兆分の一の奇跡が起こるかも。

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毒の分量

6月 24th, 2013

【6/24(月)】

毒の分量

写真はLAのアーティスト クノギルの新作 ここにも二極がある。 
everythingの後ろにnothingが隠れている。

6月初めに、袋田から草津に移動し、白根山に行った。
初草津は、温泉の力に驚いた。
山の力と海の力、質はことなれど、そこから現れる表象に、共通点はある。
人も同じと感じ入った。
写真は白根山火口の池と名護の海の対比。
一見、その青はまるで沖縄の珊瑚礁の海の色のようだが、白根山の山頂の池は、強酸性の生き物の住まない地獄。
付近は硫化水素ガスの独特な腐臭がたちこめる。
ガスも毒性が高く、立ち入り禁止のエリアも多い。
人はここに死に至る病を直しにくる。
毒は分量さえ間違わなければ、薬にもなる。
人も同じ。
毒の分量が大事なんだ。

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二極 すべての後ろに何も無いが隠れている

6月 21st, 2013

【6/21(金)】

二極 すべての後ろに何も無いが隠れている

すべての後ろに何も無いが隠れている。概念的には共存しても、物理的には両方を見ることはできない。
 
建築家 槙文彦の考え方が好きだ。
時代の流れから一定の距離を置こうとするその態度を、京都大学の岡田温司は新著「漂うモダニズム」の書評の中でこう書いている。
~相反する二極間の思考つまり「グローバルな普遍性とローカルな固有性」「ユートピアとヘテロトピア」「理性と感性」「禁欲と快楽」といった価値の両極のせめぎあいから生まれる。(要約)~

この本の中で槙は、現在のモダニズムの向かうべき方向として「共感」と「集い」を上位概念に置くことを提案している。
過日、美術家の杉本博司は、表参道の最新作について金融資本主義をあらゆる価値の抽象化の極北であり、そこに君臨する神は数理モデルによって表現される、というようなことを言っていた。
僕はそこにたち現れる残酷さを確かに美しいと思うが、一方でそら恐しいとも感じる。
そこで彼が表現しよとした神は、槙文彦の神とは全く異なるような気がする。
奥や襞のむこうにおわします神は神々であって、ひとつの強固な概念ではない。
モダニズムの二極は、ここにもある。

写真はLAのアーティスト クノギルの新作 ここにも二極がある。 
everythingの後ろにnothingが隠れている。

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成熟しないこと フラフラすること まとめあげないこと ~田中功起

6月 20th, 2013

【6/20(木)】

成熟しないこと フラフラすること まとめあげないこと ~田中功起

第55回ベネチア・ビエンナーレで田中功起が、特別表彰(スペシャルメンション)された。
展示は、福島原発事故という世界にとっても重要な事件を扱っているが、事故の直接的な表現はなく、事故後に立ち上がるコミュニティの可能性にテーマは絞られている。
これは、日本人にとってはごく自然な態度だが、世界の人々に理解させるまで、抽象化させることは難しい。
その点でも快挙と言っていいだろう。
ここでは、「東日本大震災の経験を共有することは可能か」という課題に対し、様々な非日常的行為を通じて、共同作業の可能性が追求されている。
それは、例えば、大勢の人が非常階段を上り下りしたり、9人の美容師が女性の髪をカットしたり、5人のピアニストが一緒に演奏したり、という一見馬鹿馬鹿しく見えることなのだけれど、アートの枠組みの中で、アートの役割を果たすことには成功している。

田中は、2000年代初頭から、成熟に到達することをあえて拒否するようなことを語ってきた。
そして、本人の言葉を借りれば、いつまでも「フラフラとしている」ことによって新鮮な表現を探してきた。
10年以上かけて彼が到達したユニークな場所を見ることができる。
彼のユーモアは、いつも日常のどうってことない出来事が、ほんの少しずれていたりしていて、クスッと笑ってしまい、いつまでも忘れない。

2007年のインタビューで田中はこんなことを話している。
「ここでインタビューが進行しているむこうでほかのみんながお酒を飲んでる。さらにその向こうの通りを車が走っている。だれかが犬の散歩をしている……。世界というのは複数の出来事があっちこっちで見境なく起きているわけですよね。そういう状態と似たような事態に自分の展示が近づけたかなって。世界はつながっていたり、つながっていなかったりする。その複雑さをぼくらはいろいろと関係づけていくわけですよね。」
現実の僕たちは、色んなことをスムーズにこなすために、合理性の無いものを無意識的に切り捨ていく傾向がある。
一方で、アーティストは、そこで立ち止まり、スポットをあてて、掘り下げることができる。
これは、批評ではなくて、アーティストの創造の領域である。
こうしたアートを巡る根源的な問題に対してメタ的に取り組む知性が田中にはいつもあって、それは今回も健在である。
表現されるユーモアとの対比が興味深い。

展示は、2013年11月まで第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館にて、「abstract speaking – sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと – 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」として見ることができる。

https://vimeo.com/channels/jp2013vb

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名和晃平 巨大彫刻『Manifold(マニフォールド)』

6月 19th, 2013

【6/19(水)】

名和晃平 巨大彫刻『Manifold(マニフォールド)』

大阪生まれ、京都在住の名和晃平によって、世界最大級のアルミ鋳造のパブリックアートが韓国チョナンに設置される。
中国でパーツが製造され、日本で組み立てられた。
まるで、重工業の製品のように。
これはマニフォールド(多様体、多器官の意)と名付けられた。
13.5Mの異様な光景(左上が模型)が、アラリオギャラリーの彫刻公園中に生まれる。

僕もオープニングで韓国まで出かける。
この十歳年下の天才をかろうじて同世代と呼ぶことができるなら、僕らの世代の代弁者として、予言者として、彼をたたえよう。
彼は生まれた時から肉と形を背負って生きてきたに違いない。
この事件の現場に居合わせたいのだ。

名和晃平という天才の作品にはじめて出会ったときに感じたものは、「居心地の良い不安」あるいは「遅れてくる焦燥感」だった。
僕は数年間、それを持て余し、横目で見ながら、距離をおいてきたが、とうとう我慢がきかなくなって、彼と話をするために京都にでかけた。
その時のインタビューはメモとして残してある。
いつかまとめなければならないと思っている。
だが、彼に感じた不安と同じものをそのメモにも感じていることを告白する。
それは、人生において触れないでいられるなら、触れない方がいい類いのものの一つなのかもしれない。
しかし、僕の好奇心は、それを許さないだろう。
そして、その門を開いたとき、それは風化しているかもしれない。
だから、ここに少しだけ今の気持ちを書き残しておく。

最も書き残さなければならないのに、いっこうに書けないものがある。
もっとも興味を持っているはずなのに、調べるのを後回しにするものがある。
そういう時、僕は直感的に、
「まだ、僕がにそれを咀嚼するには時期が早い」
「今の僕にはそれに近づく資格がない」
と感じている。
偉大なアーティストに関してもそれは言える、デュシャンを調べはじめたたのは、興味を持ってから10年かかったし、ウオーホールは15年、ヴォイスは20年かかった。
その間、僕はその周辺をぐるぐる回ったリ、遠くからのぞいてみたり、こだまを確かめたりして、ある時はすっかりそれを忘れてしまい、ある時はずいぶん遠くにはなれてしまうが、突然、それは放たれる。
臨界点に達した水風船のように。
それは、一瞬で形を失い、僕はそれによってずぶぬれになる。

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書き残すこと

6月 18th, 2013

【6/18(火)】

書き残すこと

10時の電車に乗る前、会議室の黒いテーブルの上で、鵜飼の扇子で火照った顔をあおぎつつ、iPadでヤードバーズを聞きながらこれを書いている。
やはりポルトガルの後にベニスに行くことにした。
あきらめていたが、背中を押された。

今朝、千波湖を走った後、息切れしながら、イングリッド・バーグマンの名前がどうしても思い出せなかった。
店舗開発を一緒にしている友人に玄関の黒い箱で見つけたロッセリーニの「イタリア旅行」を見てほしいと、DVDを渡した直後。
とりあえず、新しいことをはじめるのにゴダールより前に戻りたい。
それは恐らく今年の田中功起に勇気づけられたからかもしれない。
彼のベニス出品の中に、東洋人が数人一緒に轆轤をまわして陶器をつくる映像作品がある。
大阪の画家は朝食の後、それを見たがった。
僕は、尻から出血した。
だから黒いカットソーを着た。
黒くぬれ。
バーグマンの記憶が遠くに置きっぱなしになっていることを放置したのはその理由を知っているから。
それは、ある記憶と一緒に捨ててしまったのだ。
それは、イザベラ・ロッセリーニに対する僕の切ない感情のすぐそばにある。
20年以上前、この街にある頭の悪い美女がいた。
僕たちは彼女に暴力的に振る舞った。
それは、この溶岩の向こうに見える微かな観覧車のようなもの。
誰も気付かないが、その広大な緑の中にけなげに花を咲かせているの。
僕は知っている。
記憶の中のちょっとした染み。
書き残さなければ何も残らない。
だからこの風景とこの文章を残す。

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鵜飼 街の表情

6月 17th, 2013

【6/17(月)】

鵜飼 街の表情

名古屋の出張帰り、足を伸ばし長良川が窓から見える岐阜の温泉旅館に泊まる。
河原に止まる赤い屋根の船は、昨夜雨の中、鮎漁鑑賞を楽しんだ鵜飼専用の船。
鵜飼は、宮内庁の管轄、世襲の仕事。
船上のその姿は表情も所作も凛としていて、せっかちなこの世とは隔絶された神々しく深みのある世界。
大いに感じるものあり。
天皇が大切なお客様をもてなす場所という話もうなづける。
夕食の会場の窓から見えた水団扇のお店が気になり、夏の準備と、鵜飼の絵の描かれた扇子とすかしの入った真っ赤な水団扇を所望。
前回岐阜に訪れた時とは全く違う審級にふれる。

街はどの入口から入っていくかで、その表情を変えると実感。
日本には文化を守る皇室の存在が絶対必要と再認識した。
時間を超えて戻ることのできる場所には、日常と違う時間が流れていて、時に空蝉を生きている意味を支える。
産業と一線を画す美しい風土も守られてはじめて残る。

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タイの息子 家族のつながり

6月 14th, 2013

【6/14(金)】

タイの息子 家族のつながり

梅雨前線が列島を覆いはじめた梅雨の合間の奇跡的な晴天となった5月31日。
我が家に3か月ホームステイしていたタイの息子であり、信頼できる友人でもあるセプト氏が、母国に帰った。

彼はまるで晩春の夢だった。
彼の最後の望みは富士急ハイランドだった。
それもかなえた。
そこは、僕の子供のころの最も幸せな中にあると思えた今はばらばらの家族の思い出の場所。
あの頃は、スピルバーグ部てが上手くいくと思えた。
ずっと忘れていた。
前夜、水戸の第一興商で、ある会合の二次会、ひたちなかの友人と、タイに頻繁にいく社長の話になり、その直後とはいっても深夜、神戸の義理の兄からメールが入った。
尼崎の親しい女友達がひたちなかに嫁いで、結婚披露宴を彼が経営するホテルで上げたという内容に驚く。
なぜこのタイミングか。
今朝、そのことを伝えたら、嫁ぎ先が、母の実家の高場だという。
そこは、ここでも何度か登場している、歌人の祖母の家の目と鼻の先でさらに驚く。
セプト氏は、何だか不思議な力を家に残して行ったようだ。
それは家族のつながりという魔法なのかもしれない。
彼の一族もまた、戦後祖母の才覚で家を大きくしたと聞く。
彼は媒体、血と優しさの精霊だった。。
なんだか、またスピルバーグのAIを思い出す。
彼はスピルバーグサイド、僕はキューブリックサイドだけど。
また会おう。セプト君。

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グランド・マスター3

6月 13th, 2013

【6/13(木)】

グランド・マスター3
 
どんなに強い拳法でも、歴史の流れの中で翻弄され、そこに迎合すれば恥ずかしい身をさらす。
力で立ち向かおうとすれば滅びる。
ではどうしたらいいのか。
そこにウオン・カーウァイは一つの結論を得たようだ。
イップマン、ブルースリー、そしてウォン・カーウァイの流れだ。
勿論カーウァイはカンフーの専門家ではない。
ブルースリーも、西洋武術を取り入れ独自のカンフーを作り上げた。
継承者とは呼べない。
ただ、二人はカンフーを世界に広げた。
「流派など関係ない」映画の中でイップマンはそうつぶやく。
イップマンが彼の生きた時代に、世界中が彼のカンフーの対する考え方や姿勢を知ることになる等、思うはずも無い。
残ったのは、彼の美しい生き方、そしてシンプルな哲学だ。
それは、ブルースリーの映画、カーウァイの映画そのものでもあって、こうして継承されていく。

私たちは、日常の中で中国武術の片鱗を知ることができる。
それは、整体や気功、鍼灸という民間(代替)医術にでかければ明らかである。
体を治すことは、体を攻撃することと表裏であることを、中国人はずっと知っていた。
それは、多くの歴史的な偉人の体を助け、そして、今も日本に残り続けている。
そして僕がこうして文章を残すことも、イップマンの残したエネルギーの流れ、終わらないダンスの一環なのかもしれない。

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グランド・マスター2

6月 12th, 2013

【6/12(水)】

グランド・マスター2

どうやら、中国拳法は僕が思っている以上に思索的で探求的なもののようだ。
「カンフーとはすなわち縦か横ということだ。」というような台詞を、主人公のイップマンは映画の中で何回か言う。
あえて斜めは考えない。
それは、縦と横の力が合成してできたものだからだろう。
考える必要はない。
技も増やさない。
単純な技の組み合わせで無限の技ができる。
相手を煙に巻く複雑さやこれみよがしの技巧に身を委ねることが死を早めることにつながる、イップマンの言葉には人生や歴史に対する重要な示唆が隠されている。

カンフーの本質は物理的な攻撃ではなく普通の人に見えない何かの流れの制御である。
その流れを自らつくりだし、流れをコントロールするには、動物的で日常的な意識を超えるための修行が必要になる。
スポーツをしたら、誰でもわかるが、エネルギーの流れは意識によって影響をうけるからだ。
「メンタルだ」と皆が口にするのはそういうことだ。
日常的な意識とはすなわち、傲慢や復讐心、貪欲や名誉欲を意味する。
作品の中でもチャンツィー演じる主人公の女性拳士は、復讐心に身を焼かれ不幸な最後を迎える。
それは映画的に美化されているが、監督が伝えたかったその怒りは最後に我が身に向かう、ということだと思う。
それも現象の確率であり、流れの必然なのだ。

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グランド・マスター1

6月 11th, 2013

【6/11(火)】

グランド・マスター1
 
サングラスをかけているウオン・カーウァイは、何を考えているのかわからない。
そして、いつも美しい映像の向こう側から、問題を投げつける。
観る者に一緒に考えることを要求する。

昨夜、話題の新作「グランド・マスター」を見た。
案の定、一晩カンフー(今回は中国の古くから伝わる拳法をそうよばせてもらう。)について考えてしまった。
にわか勉強だから、荒削りで不見識な内容になるかもしれない。
ただ、今考えた事は恐らく明日には忘れてしまう。
だから、書き残す。
カーウァイも書くことを求めている。
そういう映画なのだ。
まるで彼が映画を観る僕を観ていて、僕が彼の問題を誰かにバトンタッチするかしないか、それを試されているような。
それは彼にとってカンフーなのかもしれない。

量子力学の世界で、「観察者不在の場合、ミクロの現象は確率でしかない」という不思議な考え方がある。
シュレーディンガーの猫と言われる思考実験では、放射性物質の崩壊と猫の生死を結びつけ、次の瞬間の生死すらもあやふやな不思議な世界を僕たちに示す。
つまり、量子力学の世界では、猫が生きているか死んでいるかは観察者の存在がなければ確率でしかないということになる。
例えば、今回の日本のワールドカップ進出を決めた本田のペナルティキックがどこに飛んでくるかは、キーパーにはわからない。
だから、本田がキックをするまで、ボールはゴール右にも左にもゴール外にも存在する、観るということは蹴るということ、そう考えるとわかりやすい。
カンフーは、その不確定な世界の前提に立って、次にどんな攻撃が行われるのかということを、流れとして確率的に捉え、それを対戦同士が制御しあうものではないか。
そう考えた。
予測は常に確率的に外れる、だから、外れた時のことも考え、次の手を用意する。
そして、相手の予測を常に裏切りつづける、そこにおこるのはエネルギーの終わらない交換、流れ、リズム、つまりダンスだ。
カンフーがダンスのように見えるのはこのためだ。(つづく)

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AISHONANZUKA 香港へ

6月 5th, 2013

【6/5(水)】

AISHONANZUKA 香港へ

渋谷の贔屓のギャラリーが 香港へ。
本当の才能は国籍関係なく開花する。
To whom concern,

Aisho Miura and NANZUKA are pleased to announce new joint gallery AISHONANZUKA open in Hong Kong.
The location of the gallery is Aberdeen where recently a lot of new gallery moved and well known as upmarket resort residential area in HongKong.

The opening exhibition is group show titled “gallery show” by Kazuma Koike, Yoshihiro Kikuchi, Hajime Sorayama, Todd James, Keiichi Tanaami, Hiroki Tsukuda, Syuhei Yamada, Yuichi Yokoyama, from 5/23(Thur) – 7/13(Sat).

Opening reception will take place on 5/23 (Thur) – 5/25(Sat) , during the Art Basel Hong Kong, from 18:00-20:00.

Aisho Miura, Shinji Nanzuka

AISHONANZUKA
13A, REGENCY CENTER phase1, 39 Wong Chuk Hang Rd, Aberdeen, Hong Kong

http://aishonanzuka.com/index.html

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大工町 ツェッペリン 工事現場 2

5月 31st, 2013

【5/31(金)】

大工町 ツェッペリン 工事現場 2

時計は6時45分をさしている。
走るのには遅い時間だが仕方ない。
こういう時に限って雲一つない。
備前町から千波湖に降りる階段をかけ降りた。
湖にたどり着くには線路の横断橋の工事現場を通過しなければならない。
できる限りの直線で湖に向かう。
クラクションが鳴らされ大勢がこっちを見た。
走りながら考えていたのはある名前のことだった。
それは尊敬する人々の合成がいいようにも思われた。
漢字が頭の中をぐるぐる回る。
そのイメージが、ヘッドホンから流れているレッド・ツェッペリンの音楽と完璧につながった。
こうして僕に、唐突に、レッド・ツェッペリンの音楽を完璧に理解できる瞬間が訪れたのだった。
レッド・ツェッペリンの69年に発表されたデビューアルバムは批評家から黒人音楽の遺産を食いつぶすイカサマバンドと酷評され、一時は悪魔信仰に耽溺していた噂もあった。
69年僕はプロテスタントの幼稚園に通っていた。
ミサでじっとしていられず「アンチクリスト」のレッテルを張られた。
不幸な思い出だ。
三歳で通ったカソリック教会の神父はもっと僕に優しかった。
こういう思い出が信仰を決定するものだ。
気付くと僕は工事作業員の胸ぐらをつかんでいた。
ツエッペリンとキリストの血、そしてPKディック。
暴力衝動には十分なお膳立てだ。
戸惑う作業員に話をしながら僕の中である予感が生まれていた。
それはまだ言葉にならない。
レッド・ツェッペリンは、ツェッペリン飛行船の開発者の子孫に、ファミリーネームの無断使用で訴えられ「THE NOBS(ザ・ノブス)」(=紳士たち、または陰茎の隠語)と名乗っていたことがあった。
彼は法廷で「金切り声を上げて飛び回る猿どもに、当家の栄誉ある名前を名乗らせるわけには参りません」と宣言したと言う。
こうしたロックの歴史が、僕たちを勇気づける。

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大工町 ツェッペリン 工事現場 1

5月 30th, 2013

【5/30(木)】

大工町 ツェッペリン 工事現場 1 

先日悪い夢を見た。
パーフェクトストームさながらの嵐雲が僕たちの間近まで迫り来る。
僕以外はその雲に気付かない。
寝汗びっしょりで飛び起きた。
頭痛がひどい。
その前日に観たPKディック原作の映画「トータルリコール」が、昨夜の酒席のストレスと入り交じったようだ。
急いでアスピリンを五錠噛み砕き、いつもの三倍の量の抹茶を荒れた胃袋に流し込んだ。
前日のできごとが徐々に思い出され、さらに気分が悪くなった。
その日は久々に飲み過ぎてキレたようだ。
時計が12時を回り、テーブルには赤ワイン、ウイスキー、焼酎のボトルが並んでいた。
酩酊のピークでそのトラブルは起こった。
テーブルの前に座る闇のように黒い髪の女が胸元につける逆さ吊りの金の十字架が記憶に残る。
出された赤ワインの過剰な冷え具合、糞のようなワインのアテ、その女の説教臭い話し方。
その浅薄な背徳、その表層の怠惰をどうしても許せなかった。
僕はキリスト教徒ではないが、キリストをリスペクトしている。
黒人ではないがブルースを愛しているのと変わらない。
赤ワインはキリストの血。
「やるなら覚悟してからやれ」だ。
その後現れた痩せた少女の赤い髪が、マグダラのマリアが浴びたキリストの血に見えた。
血のイメージを消すには濃い抹茶を飲んで走るしか無い。
ベッドの横に脱ぎ捨ててあった誕生日に息子からもらったジャマイカの国旗柄の黒Tシャツと黒いガンジャのデザインの黒スエットパーカー、モスグリーンのランニングショーツに着替え、色々考えてしまう前に表に出た。
時計は6時45分をさしている。
走るのには遅い時間だが仕方ない。

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トラウマリス

5月 27th, 2013

【5/27(月)】

トラウマリス

恵比寿のトラウマリスは東京で最も面白い場所の一つだと思う。
ディレクターの住吉さんのアートへの関わり方は、とても共感できる。
才能を見抜き、そこに光をあてるキュレーターとしての感性と
才能を組み合わせ、時代を再解釈再構成する編集者としての才覚が
交差して、楽しい出来事が起こり、才能が開花し、
新しい価値観や美意識の萌芽を目撃することは刺激的だ。

http://www.traumaris.jp/space.html

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沖縄の朝

5月 24th, 2013

【5/24(金)】

沖縄の朝

そのホテルのテラスは湾に面していて、朝日を見るためだけに置かれた防水のベッドがあった。
半島にかかる薄い雲から太陽が顔を出す。
一瞬のできごと。
静かに波打つ海面を、太陽の舌が舐め、昨日までのモノクロームの世界の幕は降りた。

沖縄は実は東京より雨天の日が多いと聞く。
梅雨の時期の晴れ間は奇跡に近い。
グレーの世界は色と形をとりもどしつつある。
左手の山から空に向け、幾層もの雲が、緩いカーブで空に立ち上がっている。
その隣ではドラマティックな青が山と同じ幅の主張をはじめた。
海はエメラルドの緑に染まり始める。
丘陵に立ち並ぶ赤い屋根は、まだ行った事が無いトスカーナを彷彿とさせた。
その麓には沖縄独特の墓が散在し、一つの墓には名前が無く十字架が掘られていた。
神々の土地は、最も恵まれた場所にある、そこに外の資本が入り、人工の理想郷がつくられる。
再解釈された朝。
太陽は眼前まで光の触手をのばし、とうとう僕の肩に手を置いた。

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梅雨の合間に沖縄の港近くを走る

5月 23rd, 2013

【5/23(木)】

梅雨の合間に沖縄の港近くを走る

先日また、悪い夢を見た。
地震の夢。
窓を開けっ放しにして寝てしまったようで、大雨のせいで窓のそばのテーブルがびしょ濡れだった。
その日の沖縄は20年ぶりの豪雨だったらしい。
再度寝ようと試みたが、昨夜の友人Tの芸を思い出し、眠れなくなった。
日焼けした左腕の肌がむけてベッドの白いシーツを汚している。
持ってきたありったけのサプリをベッドサイドの飲み物で嚥下する。
ハバナとロゴに入ったTシャツに薄いグレーのパーカーを羽織る。
明るい緑のランニングシューズを履く。
そのまま、ホテルを飛び出した。
国際通を右折する。
とにもかくにも海へ。
海沿いの公園は老人だけが歩いていた。
歩行補助機を使って、朝の散歩をつまらなそうにこなす。
大友マンガ「アキラ」を思い出した。
最近よくこのマンガを思い出す。
ハワイアンを踊る老女の笑顔等を見た時とかに。
この街に欠けているのはおそらくある種の希望だ。
観光産業が主要産業でその多くを中国人観光客に依存してる。
行政は必死に中国語を習得させようとする。
尖閣の県は、経済的にはアメリカの基地と中国依存だ。
国際通りは中国人観光客の草刈り場となっていると聞く。
彼らは沖縄特別ビザ携え、電化製品と化粧品を買いに沖縄に来る。

僕たちは、不幸なことに梅雨入りと同時に沖縄にいた。
しかもまれに見る悪天候。
IKKSKKの沖縄の特区と大学院大学の視察。
名護の金融特区、うるまのIT特区、そして恩納の学際研究の大学院大学。
この学校が最もインパクトがあった。
理事会の半分はノーベル賞学者。物理学や生物学、機械工学の学者が同じ研究棟で、交流し新たな研究テーマに取り組む。
ゲノム、人工知能、海流発電etc,複雑系の研究で有名なサンタフェ研究所を思い出す。
学生の8割は外国人国籍はバラバラ。
快適な住居。美しい研究棟。こんな極めて日本的でない場所がこんな僻地にあるのが奇異で楽しい。
まるでサンダーバードかエヴァンゲリオンの基地のようだ。
地代は恩納村の無償提供。
デザインをした建築家の両親はノーベル賞の学者という。
新しい兵器が発明されるかもしれない。
昨夜は農業関係のH君が通う国際通りのラウンジ風のバーに連れて行かれた。
シングルマザーを、那覇で一番美人だったと誉れ高いママが守っている。
母子家庭には、コールセンター以外にも簡単で割のいい仕事が必要である。
雇用は夜の街でこうして生まれる。
沖縄は出生率日本一、離婚率日本一、未成年の飲酒補導日本一の不思議なお国柄である。
早く生んで、別れて、親や地域が子を守る文化が根付いてる。
教育レベルは低いが、活力はある。
そして、稼げない男には立つ瀬ない。離婚の理由の多くはDV。
寡婦から、レットイットビーを歌ってくれと頼まれ歌う。
本当はユアマザシュッドノウを歌いたかったが知らないようなので仕方ない。
最後のリクエストはイマジンだった。
ラブアンドピース。
夜半前に十和田の新渡戸さんからメールが入った。
そのときテレビで東北の地震のニュース。
しばらくして青森の海女の物語。
こうして青森と沖縄もつながっている。

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地球の現実

5月 22nd, 2013

【5/22(水)】

地球の現実

先週末、大雨の那覇市国際通りは大渋滞。
歩道は観光客と外国人でごった返していた。
客引きと売り子の声が響く。
映画「セブン」と「ブレードランナー」が頭の中で交錯する。
島の地名のついた食堂で食事を済ませた後、タクシーを拾い高速で喜瀬に移動する。
観光客向けにパッケージされたサービスは、人のエネルギーを奪う。

二日間の雨で湿気を吸いすぎた麻のスーツを脱ぎ捨て、熱いシャワーを浴びた。
バスローブに着替え、保湿クリームで体をマッサージして、やっと気持ちが落ち着いた。
手持ちのウイスキーを二口飲み込む。
那覇は、あまりに人々の欲望が強すぎる。
名護に移動して、やっとイメージ通りの沖縄に来ていることを確認した。
それが人工的な幻想であっても、要素を減らし、抽象化され管理された自然の中でしか、僕は深く呼吸ができない。
脳化した都市のスギゾフレニー、文明のインフラに完璧に依存したパンツをはいた猿。
脆弱な精神と体を知りながら、折り合いを付けて行くことは、あと何年可能なのだろう。
余計な事を考えるのはやめよう。

ルームサービスで頼んだシャブリをテラスのベッドで飲んでいたら、うとうとしてしまい、体に張り付く羽蟻の耳元の羽音で起きた。
雨が上がったらしい。
暗くて、目の前の海の存在は微かにしかわからないが、波の音の大きさと、丘の上の長方形の建物がライトアップされ、ここが小さな湾であり、目の前が海岸で、岬の先端である事が理解できる。
耳を澄ませば、波音を基調にした、虫の声、滝の音、蛙の鳴き声のポリリズム。
こうして、ここがまぎれも無く地球であることを理解できた。
僕が溶け込もうとしている地球は、真実の地球ではない。
僕が求める沖縄は、基地問題を抱え、失業と暴力と離婚と肥満に喘ぐ沖縄ではない。
そして、今こうして文章を書いている僕は、一つの感覚の抽象なのだ。
今朝は、悪い夢は見なかった。
青く透明度の高い海の干上がった塩が白い輪を描く丸い島々の夢を見た。
そこは美しく、そして生物はいない。
つけっぱなしにしておいたテレビが僕に地球の現実を説明する。
「1950年以降、地球は激変した。私たちの発展方式には問題がある。2%が富を握る。毎週世界の都市人口は100万増える。一日5000人が汚れた水を飲んで死ぬ。10億人が飢えに苦しむ。」

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立夏

5月 21st, 2013

【5/21(火)】

立夏

朝が深い。
緑が目に刺さる。
見ること聞くことは、その世界を成立させること。
立夏。
沖縄に出かけた日の早朝三時半、目覚まし代わりのラジオから沖縄民謡が流れていた。
そしてその前日、友人は沖縄の名前にダブのつくバンドのTシャツをくれると言っていた。
飲んでいたのはイタリアのピンク色の有機白ワイン。
冨永監督と大工町の映画の話をしていた。

寝る前にシャーリーズテンプルのDVDを画家に貸した。
監督は画家に蛇の入れ墨をいれて、映画に出てくれという。
アイヤサッササッサ、アイヤッサッササッサ。
南の島のシンコペーション。
テレビを付ければ、沖縄の梅雨入りのニュースが流れていた。
画家は「沖縄に行けばまた変わるやろ」と言った。
沖縄へ行く目的は、経済特区と米軍基地の視察そしてタラサ、ユタ。
昨夜気付いた。確かに祖母について書いたFacebookは消えている。
このメッセージは「注目せよ」だ。
そして、著作を読み直す。
電波の世界は何かで現実とつながっている、そう感じることがある。
話したこと考えたことが発信される。
昔母もそんなことを言っていた。
その時は気狂いと取り合わなかった。
今はわかる。
そしていわゆる霊界とも。
過去は終わっていない。
こうしたことは、通常は認識してはならないことだ。
それは寝ている間に動いている政治や、市場や、人の生き死にを気にしてはならないということに近い。
ないことを前提にしか普通の世界は生きていられない。

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表層の欲望誘発装置

5月 15th, 2013

【5/15(水)】

表層の欲望誘発装置

片岡義男を大学生の時、一度友人の家の窓から見たことがある。
栄光学園出身の彼はジャズと紅茶とビールが好きで玉川学園に住んでいて、その部屋は片岡義男の家を見下ろせる場所にあった。
片岡義男はベランダで布団を干していた。
僕らはそれを見てすごく笑った。

それ以来だろうか?
片岡義男を読んだことを話すのも恥ずかしい。
彼はサーフィンを自分ではやらないのに、サーファーへの憧れをかき立てる文章を書けた。
それは、初期のビーチボーイズのようなものだったのかもしれない。
片岡とか田中康夫ってどうして読んでいたこと自体が恥ずかしいのだろう?
それは、すっかり、消費されちゃったからかな。
読み返そうと全く思わないからなあ。
その点では大藪春彦に近いのかも。

ライフスタイル小説って完全に消費されてしまう。
表層の欲望誘発装置でしかないから。
そういえば、ポパイ読んでいたことは別に恥ずかしくないのにホットドックは恥ずかしいな。
フォロワーってやつも恥ずかしい。

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森美術館 「LOVE」展

5月 14th, 2013

【5/14(火)】

森美術館 「LOVE」展

森美術館のこけら落としは「ハピネス」展だった。
そこでは、モネ、 若冲、 そしてジェフ・クーンズといったアーティストによって幸せの形が提示された。

森美術館は10周年を迎えて、そのテーマを「LOVE」に定めた。
館長の南條史生氏はずいぶん以前から、自分の展覧会の集大成はラブ展だと話していた。
シャガール、デミアン ハースト、草間彌生、フリーダカーロ、そして初音ミク、200点の作品は、愛の諸相を描き出す。
恋する二人、愛を失うとき、家族と愛、広がる愛のサブテーマに沿って愛とは何かを示す。
普遍性と変革への意志はアートへの深い愛によって裏付けられている。
この国に森美術館があることに、心から感謝したい。

http://www.mori.art.museum/contents/love/about/index.html

六本木ヒルズ・森美術館10周年記念展
LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで
会  期: 2013年4月26日(金)-9月1日(日)
会  場: 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
主  催: 森美術館
企  画: 南條史生(森美術館館長)、森美術館学芸部

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街と建築家

5月 13th, 2013

【5/13(月)】

街と建築家

過日、軽井沢の千住博美術館を訪ねた。
そこで偶然、建築家ユニットSANAAの二人西沢立衛と妹島和代(二人でSANAA)にばったり会った。
西沢氏は十和田市現代美術館で展覧会が冬に予定されている。
また、直前に、妹島氏がデザインする予定の日立市役所のことを友人と電話で話していたので驚いた。

僕は興奮し近寄って気付くと妹島さんに話しかけていた。
彼女は、日立出身で高校の先輩なので、勝手に親近感を感じている。
昨年は日立駅をデザインし、その美しさをFBで讃えた。
こうして彼女は日立の建築家となっていく。
多くのもの言わぬ市民がそれを望んでいる。
その妹島氏から「市が進めている商店街の開発も市役所のデザインと連動した方がいいですね。協力し合いましょう」と言われ、僕は子供のように「何でもします」と答えていた。
何ができるかわからないが、こういうことは単純に嬉しい。
切り捨ててきたはずの故郷とのつながり。
こういうことがきっと「生きていく」ということなんだろう。
人生は大きくカーブし元来た場所に戻っていくのだ。

先日事情あり、拙宅にレジデンス中の画家TNを乗せ、日立市をドライブした。
昼食時だったので、河原子から国道を北へむかい、食事の場所を探したが店がない。
隠れた名店「浜の宮食堂」を思い出し、会瀬海岸を舐め、海の上のバイパスを抜けて、そこを目指したが、そこは残念ながらつぶれていた。
この寂れっぷりは、勿論津波の影響もあるんだろう。
僕の生家は、この食堂の前の通りを西に1キロほどいった山の麓にある。
神峰町という。
気付くと僕は画家に、日立工場や日立駅、かみね公園、大煙突の説明をしていた。
子供の頃の遊び場の説明をされても、何の興味もないことだろうに、画家は嫌がりもせずただ聞いてくれた。
戦後、製造業の発展にすべてを捧げたこの地域の末路を想像し、ただただ悲しく、何もできない自分にも少し苛立った。
それは5年前に出かけた熊野の北のどん詰まりの小さな港街、「甫母」とかぶった。
そこは磯崎の先祖が捨てた街。
こうした細胞の奥の記憶を一つずつ確認し、つなげ、重ねていくことで、僕はやっと生きていける。
人は歴史という海の小さな泡沫(うたかた)だから。
そして、優れた建築はそうした思いを形にしてくれる。
そう信じている。

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一富士 二鷹 三ジョビニ

5月 10th, 2013

【5/10(金)】

一富士 二鷹 三ジョビニ

連休に伊豆の小さな島を訪ねた。
朝は早めに起きて海に向かった。
雲一つない快晴。
ホームステイ中のタイの高校生と海の底をしばし楽しむことにした。

朝一番の海には幸運があると聞く。
早速クマノミに会えた。
ネコザメ、ウツボ、キビナゴの群れ、ソラスズメダイ、キンギョハナダイ。
そういえば、海に潜るのは久しぶりだ。
30分ほどダイブした後、熱いシャワーを浴び、ベージュのコーデュロイの短パンと薄い水色のTシャツに着替え、エチオピアのコーヒーをごちそうになる。

帰り道、港の近くの食堂はほとんどがまだ準備中だったが、横道を少し上った所に開いてる店を見つけた。
カサゴの煮付けとアジの塩焼きで炊きたてのご飯を食べた。
岩のりのみそ汁が美味しくておかわりした。
戻る坂の途中で小さな竜を祭る神社をみつけたのでお参りをした。
部屋に戻って、上半身裸で正午まで過ごした。
ブラジルのFM番組が流れている。
ベランダから海の向こうに富士山が見えた。
雲一つない空を鷹が二羽気持ち良さそうに飛んでいる。
カメラを持って構えていると、二匹は突如旋回し、僕の手が届くくらいの所まで飛んできた。
目と目があって、奴は確かに笑っていた。
ラジオではアントニオ・カルロス・ジョビニが愛娘と楽しそうに歌っている。

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管理と解放

5月 9th, 2013

【5/9(木)】

管理と解放

今の世の中、表層の清いだけがまかり通り、一枚めくれば深く重く憎悪が淀んでうずまいているように感じる。
それでは人は生きている気がしない。
少し管理を緩め、解放しなくてはならぬ。
細部の完璧を望んでは、成長は無い。

鉄舟は、徳川慶喜を守り、勝海舟と西郷隆盛に働きかけ大政奉還を成し遂げた男である。
明治天皇の護衛を10年つとめた。
剣の道を究めたが人を殺めたことは無い。
「無刀」流という哲学を編み出した。
「武士道」という概念をはじめて定義付け、「神儒仏が渾然一体となったもの」とした。
かの新渡戸稲造もこの影響下にある。
水戸学は神儒一致であるが直情径行で死に急ぐ。
そこに仏道の慈悲心を入れることでバランスがとれた。
後にインドと中国と日本を融合させた岡倉天心のアジアの概念にもつながっていくようだ。
無駄死にはしてはならぬと説いた。
一方で叙勲を断り井上馨に「ふんどしかつぎ」と啖呵を切ったり、と逸話も多い。
最後は皇居を向いて座禅を組み、死ぬと宣言した日に死んだ。

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じゃんがら

5月 8th, 2013

【5/8(水)】

じゃんがら

楢葉町の多くの住民は、原発事故以降、いわきの仮設住宅に住んでいる。
故郷への思いが、結束を固め、伝統への思いを強くするのは、ユダヤ人もアフロキューバンも福島も同じである。

「ぢゃんがら」は、そもそも盆に死者の魂を供養する目的で始まった。
「ぢゃんがら」を踊る一行は家々を訪問し、踊り太鼓をささげて廻る。
どこで誰が踊るか誰も把握できない。
実は、この「じゃんがら」江戸の前期と明治の初期に禁止令が出ている。
江戸時代は相撲や花火と一緒に抑制された。
それ以前は、華美な絹布を垂らし踊り狂っていたが浴衣たすき姿へと変化した。
明治には、「文明ノ今日ニアルマジキ弊習」だとして禁じられたが、男性だけで行うものとして復活した。
禁止された風俗が、伝統文化として復活するあたりは行政の場当たり的なご都合主義に感じる。
まるで地方版歌舞伎のようでもある。

日本には、今でも辺境にこうした派手で過激な祭りの片鱗が残されているようだが、ねぶたや七夕、竿燈のように観光化の果てに俗化し管理されてしまうのは悲しい。
文化習俗の徹底的な強制は記憶の彼方だが、日本がそうした歴史を背負っていて、権力が質素倹約公序良俗の名の下に容易にそうした方向性に向かう可能性は覚悟していなくてはならない。

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小説 パリス/フクシマ 第二章 2

5月 7th, 2013

【5/7(火)】

小説 パリス/フクシマ 第二章 2

岬の先端に六角堂というのがあるらしい。そこに行ってみることにした。あいにく公園は休園日だった。車を降りてぶらぶらしていると、白い着物を着たどこかで見たことのある俳優が歩いていった。映画の撮影でもあるのかしらん。道路脇の基礎だけが残っている津波の残骸を横目に、海を見ながらタバコを吸った。海がものすごくきれいだった。この辺りの海は緑がかっていて、いつか見たことのあるイタリアの海にそっくりだった。松がたくさん生えていて、どう見ても日本の風景なのだけど、海はイタリアっていうのがおかしかった。海を眺め飽きたので車に戻り高速道路でもう少し北に行って見ようと決めた。行けるところまで行ってみよう。
福島県に入ったことをカーナビで知った。だんだん車の数が減っていることに気付いた。どうやら、この高速道路には行き止まりがあるようだ。福島原発がこの辺りにあることを思い出した。常磐富岡というインターが高速道路の終着だった。
顔を覆ったヘルメットの男達が高速道路の上で降りてくださいと、誘導していた。少し山道を北に走ってみた。『除染作業中』と書かれた看板は東京では見ないからすごく不思議な感じがした。しかも、『馬や牛に注意』の看板、やれやれ、一体どこに迷い込んでしまったのだろう。畑も田んぼも家もあって、集落はあるのに人は全くいない。これが、非難区域という場所なんだ、と理解した。少し怖くなってきた。所々にマスクをした作業者の姿。結局下の道も、行き止まりだった。10人近くの作業者が、道を封鎖していた。
「お嬢さん、もうこっから先は行けねえよ。いわきまで戻るしかねえなあ。」ここから先はどうなっているんですか?と素朴な質問をしてみた。「知らないのけえ。この先は放射能でやられて、人ははいれねえよ。」
おどろいた、東京から2時間半車で走るとそこは地の果てなのだ。幸運の方角は、この世のなのね、思わず独り言をつぶやいてしまった。
あたりが暗くなって来た。心細くなって来たので、東京へもどることにした。東京までの高速の道々、何カ所も工事渋滞にぶつかった。帰る方が行くより時間がかかった。行きは良い良い、帰りは怖いという歌を思い出した。水戸を過ぎると比較的スムーズに走ることができた。三郷の辺りから、光る高い塔が見えて来た。それがスカイツリーだと気付くのにしばらく時間がかかった。スカイツリーができて1年以上たつのに、マユミはそれを見たことがなかった。東京とは言ってもすごく狭いエリアですごしていたことに気付いた。「スカイツリーは東京の北東鬼門の守り神だからねえ。東京を守ってる。」と誰かが話していたことを思い出した。スカイツリーは日本の伝統色の色見本で見たことがあるような紫色に光っていた。
ラジオから、グレングルードのバッハが流れて来た。
なんだか泣けてきて、風景がにじんだ。後ろの車にクラクションを鳴らされた。(つづく)

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小説 パリス/フクシマ 第二章 1

5月 2nd, 2013

【5/2(木)】

小説 パリス/フクシマ 第二章 1

その日は、天気なのに少し雪が降っている寒い冬の日だった。今のマンションからは出ていくと大家に話してしまったし、しばらくは、脚本家の友人の家に居候をすることにした。彼女から車を借りて、幸運と言われた北東に向かった。北の果てに何か幸運があるのかな、と思ったりもした。
麻布十番の一橋を右折し、芝公園から高速に乗った。首都高から東北道と常磐道で迷ったが、より北東に近いところで結局常磐道に入り、2時間くらい走ると右側に海が見えてきた。太平洋らしい。このハイウエイはある地点から、急に山がちになる。たくさんのトンネルを抜ける。地震が来て生き埋めになるところを想像した。
海で溺れて死ぬ方がまし、時々トンネルを抜けると見える真っ青な海を見てそう思った。震災の復旧工事の看板がかなりの数出ていた。

正午になったので、一度食事をするために、インターを降りて、下の道を海の方に走った。海のものが食べたいと思った。道路沿いには、「アンコウ鍋」の看板の店がたくさんあった。この辺りの名物なのだろうか。アンコウは、小学校の頃図鑑で見たおどろおどろしい姿しか知らなかった。一体ここはどこだろう?近くに深海があるんだろうか?北茨城、磯原と書いてある交通サインを炊たくさん見た。予想以上に道路が広くて舗装も行き届いている。茨城の北のはずれで、海のそばで土木が中心の産業なんだわ、と想像した。地元にかなり強い政治家がいるのだろう。道路標識の横に聞いたことのある名前を見つけた。岡倉天心って中国人の名前だろうか?適当に雰囲気の良さそうな食堂を見つけ、アンコウ鍋を頼んでみた。
60歳くらいの白髪のおじさんに「お嬢さんどこから来たの?」と話しかけられた。東京です。アンコウはこのあたりでとれるのですか?「近くの海でとれるよ。原発事故で一時期は漁をやめてたけどねえ。この辺りは海が深いから。」ミソの鍋だった。窓の外を大きな音を立ててヘリコプターが通過する。ずいぶん近くを飛んでいるようだ。窓枠がガタガタ揺れた。ジェット戦闘機の音も聞こえる。戦争でも始まるのだろうか。北の国にいて戦争が始まったらいやだわ、と思った。
春菊とキノコと根菜類と白菜を一緒に鍋で煮た。春菊は、柔らくなりきらない前に食べた。アンコウは、思いのほか柔らかくて美味しかった。
「お肌にいいんだよ。この辺りは温泉もでるからね。アンコウ食べて温泉入ってもっともっと美人になちゃいな。」と言われた。  (つづく)

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小説  パリス/フクシマ 第一章 2

5月 1st, 2013

【5/1(水)】

小説  パリス/フクシマ 第一章 2

日本に戻る前に、マユミは数ヶ月、ロンドンから転勤になってパリで仕事をしていた。もともと、大学院で歴史学を勉強するための資金づくりのために仕事を始めたのに、働き始めれば忙殺された。貯金もたまらなかった。
 
空白の3年間だったわ。
 
パリではラテン人の仕事の遅さにいつもいらついた。イライラする毎日は、針のむしろだった。何にも興味わかず、食欲もなく、パスタに塩をかけて食べた。
イギリスは好き。
イギリス人とは深い友達になれるの、特にゲイの友達がたくさんできたわ、私は結婚に全く興味がないから、ゲイのカップルの子供を産もうとしたことがあったの。でも彼らは薬物中毒で。結局ダメだった。
ゲイの子供を産もうとする女の子はアキラの平凡な人生の中にはいなかったのでこの話には衝撃を受けた。

引っ越しをするために、最近、友人の風水師に占ってもらったの。北東が幸運な方角だって言うのね。だから、恵比寿と渋谷を外せば、まあ、港区は大丈夫ってことでしょ。問題ないよね。
それから、カラーセラピストに自分の色を見てもらったの。見て見て、このグラフ。マユミは、5センチ角のラミネートされた不思議な表を手持ちのバックから出して説明を始めた。前髪が、アキラの頬に触った。

中心に赤があって、周囲を紫で囲んでいるでしょ。これって、珍しい組み合わせらしいのよね。

告白事件の後、彼女は引っ越しを決意した。不動産屋を何軒も回って、数えきれない物件を見て、疲れ果てた。不動産屋の言いなりに、ある物件にエントリーし、審査の結果を待った。不合格だった。不景気の時の東京のマンションの審査が厳しいのは聞いていた。納税証明書を見せなくてはならないし、両親のことや勤め先も明らかにしなくてはならない。個人情報を色々見せて、その上で、ダメと言われ、ブルーな気分になった。人生の落伍者になった気さえした。(つづく)

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小説  パリス/フクシマ 第一章 1

4月 30th, 2013

【4/30(火)】

小説  パリス/フクシマ 第一章 1

パリは嫌い。日本の大学を卒業してから5年間イギリスのカンタベリーに住んでいたマユミはそう言った。パリの町はハリボテだから。軽い精神の病を煩った彼女は、最近東京に帰ってきた。アキラは大学で社会学の准教授を勤めている。マユミはそこの卒業生らしく、時々研究のボランティアに来る。頭の回転が早く、仕事はてきぱきとこなした。ただし、時々突然頭が痛いと言って休むことがあった。それを除けば、仕事ぶり他の研究生の比ではなかった。遅い時間の仕事もいとわなかったので、時々研究室で2人きりになることがあった。仕事が終わり、帰宅前にお茶を飲みながらたまに話をした。彼女はレモングラスのハーブティを好んだ。

「どうしてパリから帰ってきたの?」
療養のために帰って来たの。子供の頃住んでいたあたりでゆっくりしようと思って。東京は生まれ故郷なのに身寄りが無いの。青森に祖母がいるわ。パパは去年死んだ。ママの居場所は知らない。生きているか、死んでいるかもわからないの。幼い頃の記憶は、パパの暴力と母の金切り声だけなの、ひどいでしょ、マユミはこういうことをたんたんと話す。

実はパパを何度も殺そうと思ったの。でもできなかった。肉親を殺すのはすごくタフなことなのよ。先生には縁のない世界だと思うけど。世の中には結構同じ苦しみを持っている人はいるみたい。結局早く死んだから、殺さなくてよかったけど。
吉祥天のような(僕は吉祥天を文章でしか知らないのだけど)美しい横顔をアキラに向けながら、平気でこういう話をする。アキラは残酷な話をする時のマユミの唇の動きにいつも魅了された。

パパの転勤で毎年のように転校していて、友達はいなかったわ。
「いじめられた?」
小学校の記憶は全くないの、ほんとに思い出せないの。
ただ一度だけ、友達の顔を鉄条網になすり付けて大けがをさせたことがあって、先生が真っ青な顔で家に来た、その時の先生の玄関で脱いだ靴の記憶だけが残っているの。私は友達と喧嘩をした記憶は無いんだけど。どうしてそんなことになっちゃたのかしら。でも、その時だけは、パパは私を起こらなかったわ。普段はあんなに癇癪持ちだったのに。不思議だと思いません?

「東京にもどってからどうしてたの?」
東京に戻ってきたまではよかったんだけど、住むところが無くてしばらくは荷物をトランクルームに預けてホテル暮らしをしていたの。それで一文なしになってしまって、しばらく少しきわどい仕事をしていたの。そしたらすぐにお金を出してくれる人が見つかって。今は、少し稼げるようになったから、もう彼とは関係ないけどね。私は家に全く無頓着で、どこに住んでも一緒なの、だから、いつも不動産屋を困らせたわ。間取りも、窓の向きも、広さもどうでもいいの。住むための条件というのが全く理解できなくて。

結局、家賃の安さだけで選んだマユミのマンションには、時々幽霊が出た。閉めたはずの鍵が開いていたり、沸かした覚えのないお湯が沸いていたり。外に人がいるはずの無い壁がノックされたり。隣人はどうやらやくざの情婦のようだった。入れ墨の男が時々ベランダでふんどしを干す。マユミは不思議にこうしたことを全く気にしない。そこの管理人は、少し痴呆のはいった身寄りの無い初老の男だった。管理室の前を通るたびになぜかいつも声をかけられた。しばらくは話を聞いてあげていた。ある日、突然「部屋を一つあげるから、僕と一緒に暮らしなさい。」
と言われた。

いつもなぜか突然告白されるの。
一緒にくらそうとか、
結婚してくれとか、
手も握ったことが無い人からよ、いつもびっくりする。
 
その管理人からも、『死んだ後に連絡をとってほしい友人のリスト』を唐突に渡されたの。気持ち悪いから、しばらく声をかけられても無視をしていたら、ある日突然、そのマンションの大家に「出て行ってほしい」と言われたのよ。いつも家にいない、いないのに部屋に明かりがついている。というのが理由、家賃の滞納も無いのに。おそらく管理人が何かひどいことを言ったんだわ。でも薄気味悪いマンションだったし、そういうこともあったから、丁度引っ越すのにいいかな、と思って。引っ越しを決めたの。 (つづく)

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